アニメ・特撮映画は例年通りのペースで観に行っているんですがついつい感想を書きそびれてしまっていたので、キュアモフルン前にたまっていたのを放出。
「映画Go!プリンセスプリキュア Go!Go!!!豪華三本立て!!!」
〇キュアフローラといたずらかがみ
キュアフローラがお城の倉庫の鏡の前でお気に入りのカチューシャを着けていたら鏡にやどったお化けたちがいたずらを仕掛けてきて……という流れで進行するお話。
本編の「春野はるかが変身するキュアフローラ」という設定から半ば離れた「キュアフローラというキャラクター」を前面に出して、3DCG技術の可能性を突き詰めてみた実験作品、といった印象です。
実際「本編より幼めの8歳児くらい」をイメージして演出されているとのことで本編との整合性とか特に考えず、「3DCGでキュアフローラをここまで可愛くアクティブに演出できるんだ!」と映像美を楽しむのが吉。
個人的には無理矢理理屈をつけて「あれは三代目キュアフローラなのでは?」というところまで妄想飛躍させたいところですが(苦笑)
〇パンプキン王国のたからもの
メイン長編。フォーマットとしては「プリキュアが異世界に招かれ、そこで命を狙われつつゲストの心を解きほぐし、問題を解決して去っていくという話の中で、作品全体を貫くテーマの秋時点での集大成を描く」という、前年のハピネスチャージ映画あたりと同じパターン(多少例外はあるけれどプリキュア映画の王道路線)。
ただ公開時期が「追い詰められたはるかが記憶喪失中のカナタの後悔と否定の言葉で一度折れて絶望しかける」という38話の直後(しかも復活の39話の間に一週休みが入る)だったこともあって、ついいろんなヤキモキ感を引きずってしまって(汗)
ともあれ、「Go!プリンセスプリキュア」という物語が春野はるかの成長を主軸としている上に最終回に至るまでテーマを突き詰めていったこともあって、この時点ではるかがテーマを追求するストーリーは作りにくかったんだろうなという印象。あくまで助っ人ヒーローに徹していて、ここで決意を新たにするとか己を見つめ直すって展開はほぼない感じです。
その一方で描かれるのは「夢を見る人に悪いやつぁいねぇ!」というGoプリの掲げる世界観の再確認と、「夢を追うものの力はヒーローたちに影響され、時に自らの足で絶望を乗り越え得る」という最終決戦の先取りですね。
当初アロマの往復でしかコミュニケーションしておらず直接顔を合わせるのは最後の最後、というはるかとパンプルルが心を通じ合わせていたのもプリンセスの夢を歩む者同士のシンパシーによるものですし、パンプキン妖精たちの奮闘は最終決戦のゆいちゃんたちの助力(そして「夢を希望に導く姿」がはるかたちをグランプリンセスたらしめたこと)に繋がります。
時期的に作品の価値観のおさらいと今後の予感、という点は十分満たした一本ですが、はるかの挫折と葛藤と再起、という前二作のような分かりやすい起伏を期待しているとちょっと肩透かしかもしれません(そこは本編39話で充分以上に満たされるわけですが)。
〇プリキュアとレフィのワンダーナイト!
パンプルルの人形とレフィたちのパンプキングダムとの関係とか考察しようとすると色々ややこしくなりそうなんですが、それはともかく。
CGで描かれるノンストップアクションということで、プリキュアならではの華やかさと泥臭さを魅せてくれます。中編ということで思った以上のボリュームがあり、アクション活劇に全振りしている分一番見やすかったように思います。
長尺の映画だと主な観客である未就学女児の集中力が続かない、ということを危惧してか、短編・長編・中編と分けて映像実験も組み込んでと色々トライしている感がありました。
翌年の劇場版「魔法つかいプリキュア!」が二本立てになっている(CG系を一つにまとめた)のは、今回の反響に鑑みての調整、というところでしょうか。
存分に楽しめましたが、それ以上に試行錯誤というか、前後のオールスターズと合わせてプリキュア映画そのものが過渡期にあることを思わせる作品だったとも思います。
〇仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス
ドライブのラストラン、というよりはエクストララップかなと感じる一本。
MOVIE大戦は「前作の後日談」「現役作の番外編」「合流編」の三本立てを基本にして構成をその都度いじっている(三本目はだいたいどちらかと地続き)んですが、今回はまとめて一本の映画として成立させるため、良くも悪くも「スーパー戦隊VSシリーズ」っぽくなっています。
前作組の再結成が勢い任せであまり細かいところを詰めてくれない代わりに、両作品のキャラクターが全編にわたって絡んでくれる、という具合で、「前作をきっちり締めてくれる」ことの多かった従来のMOVIE大戦に慣れていると色々面食らってしまうのは否めないですね。
ただその中で、進兄さんっぷりを発揮する進ノ介と末っ子キャラ感を醸し出すタケルの組み合わせは非常に相性がよく、この二人のドラマとしては結構充実度が高かったように思えます。しわ寄せは多々あったものの、美点も見つけやすく、いい作品だったと思います。
手裏剣戦隊ニンニンジャーVSトッキュウジャー THE MOVIE 忍者INワンダーランド
トミカヒーローレスキューフォースでドクトル・マドゥを演じた南海キャンディース山里亮太氏が今回は闇博士マーブロを演じていて、この人また電車関係の趣味に走った悪役やってて似合うなぁ、なんて思う一本。
あとこの時期初アフレコだったはずのジュウオウジャーの面々がこの時点で相当に巧いというのもサプライズ。
冒頭がほとんどループ物のホラーだったんですけど、実はトッキュウジャーがニンニンジャーを助けようとして動いていた結果だった、という捻りの利いたスタートから、出涸らしにされてしまう天晴、女装が一番受けるキンジ、撮影時期のスケジュールの都合で別動隊的に登場する明……と大ネタ小ネタが出てくる中で「家に帰るために旅を続けてきた小学生」というトッキュウジャーと「帰る家を持つ家族親戚戦隊」であるニンニンジャーの個性がうまく融合したシナリオでした。好天さんも消えた天晴の前に現れるなど、この時期匂わされていた「疑惑」とのシンクロ感もあり、最後にライトたちの正体が小学生と知ってびっくりってオチまでつけて実に楽しく仕上がっていたと思います。
しかしトッキュウジャーって前回も今回もVSになると玩具じゃ再現不可能なコラボやるよなあ(笑)
プリキュアオールスターズ みんなで歌う♪奇跡の魔法!
オールスターズとしての前作「春のカーニバル」のミュージカル要素がほぼオドレン・ウタエンのみで残りがプリキュアミュージックステーション状態だったのに対し、今回はしっかりがっつりミュージカルしています。
つまり、町中で会話の流れから突如歌いだすし、その歌が物語を動かしキャラの心に訴えかけるキーになるし、という本格ミュージカル仕様。
タモさんのような「ミュージカルって意味が分からない……」という人にはちょっと辛いかも知れない(汗)
基本的に、キャストが全員出てくるのは魔法つかい・Goプリ・ハピネスチャージ・ドキドキの直近4作品ですが、途中からは魔法つかい組(この時点ではミラクルとマジカルの二人体制)が奮戦し、大多数のプリキュアは囚われた状態に……
直近四作品から出てきた割に、再生ボスにフォーメーション決めて浄化技をぶちかます以外は各キャラごとの明確な見せ場があるとは言い切れず(むしろ梅Pピンクカルテットの方が笑いを取っていた)、やっぱり増えすぎたプリキュアを持て余してるという面は否めません。
そんな中、戦場に足を踏み入れるのが二度目で単純な場数は新人のミラマジより少なそうなのに貫禄たっぷりに出てくるエコーさんがやけに頼もしく見えて、感慨深いものがありました。
ところで友人が「プリキュアの涙云々やミラクルステッキライトの仕込みなどから考えて、これ全てソルシエール様のお師匠がトラウーマを完全に滅ぼすために状況を操っていたのでは」と考察し出して、いろいろ腑に落ちる面もあったりして(笑)
〇仮面ライダー1号
これ主人公、本郷猛っていうか藤岡弘、氏そのものだよね!
という、むせかえるほどの藤岡濃度あふれる映画でした。井上脚本らしい部分はほぼノバショッカーVSショッカーの世代確執に割かれていて、本郷が出ている部分は藤岡氏の提案によるところが大なんじゃないかな……と思うくらい。
特に教室のシーンはいきなり本郷が命の授業とか始めて生徒たちが戸惑うあたりは「ライダー映画を観ていると思ったら藤岡メッセージ全開だった」というこの映画の縮図になっているとも言え、自分たちの言動がどう受け止められるか理解した上で「今はそれでいいんだ、いつか分かってくれればいい」と余裕をもって発信している藤岡氏の姿勢が見えた気がします。
あとやっぱり、タケルは年長者と絡むと孫感が強まる。
劇場版動物戦隊ジュウオウジャー ドキドキサーカスパニック!/仮面ライダーゴースト 100の眼魂とゴースト運命の瞬間
〇ジュウオウジャー
デスガリアンとは関係なく宇宙でシャレにならない大混乱を引き起こしてきた自称大大大大大サーカス団団長・ドミトルが、人間界でサーカスを隠れ蓑にして巡業しているジューマン一座を観客の子供たちごと捕らえてさらっていこうとする。
ジューマンサーカスと聞いてその場に居合わせたジュウオウジャーの面々はドミトルの野望を粉砕せんとするが……
既存の悪の組織とは関係なく第三勢力的なやばいヤツがやってくる、というのは戦隊夏の映画でもよくあることですが、本編でもバングレイが出てきたしゴーカイジャーも来たってことは、宇宙が相当な魔境になっている(そして地球に来ては滅ぶ)って構図になってるよなぁと改めて思ったりして。
40作記念ということもあって39戦隊の小道具や関連名称、あるいはドギー・シャーフー・トリンのカメオ出演があったりもしますが、はっきり言って一度や二度では全部把握するのは不可能ですし、そこら辺気にせずに話の内容を追っていっても十二分に楽しめます(笑)
夏の映画としては珍しく追加戦士込みの第二次スーパー合体ロボが登場し、なおかつクライマックスで実質的なトドメを担当するという展開になっているのも面白いところ。これは本編でもワイルドトウサイキングの登場が早かったためだそうです。
〇ゴースト
イグアナゴーストライカーが量産されているとかキャプテンゴーストに思いのほかペイロードがあるとか細かなところでびっくり。
映画のタイミングに合わせて本編でもイーディス=仙人と発覚したわけですが、おかげで諸悪の根源という印象がさらに強まって……
アルゴスが死んだのはかなり昔のことのようですが、イーディス仙人がガンマイザーを突破してグレートアイにアクセスするために15の英雄眼魂を利用することを思いついたのが龍さんに出会った後だったので、まず仙人がアルゴスの霊を(龍さんが武蔵を呼ぶのと同じ要領で)呼び出して仮の肉体を与え、眼魂星を作って英雄候補たちを集め、アルゴスに眼魂集めを命じた……という流れでいいのかな。
イーディスとしては「15の眼魂を集め(てガンマイザーを突破す)れば(グレートアイに願って)肉体を取り戻せる」というつもりでいたけれど、アルゴスは「目的のために自分を利用した」ってところに焦点が当たっちゃって聞く耳を持たなくなった、という可能性も……それとも死後の世界から呼び戻して99日経つとゴースト状態で固定されてしまうのか。
アルゴスが「イーディスに騙された」「生き返るよりはゴーストでいる方がいい」というスタンスでいるのですが、イーディス仙人の言動がどこからどこまで本当なのか改めて検証してから見直さないとややこしくて仕方ないという……
それはともかく、龍さんの魂と一体化してイレギュラーな復活を遂げ、なおかつ自ら英雄と同じ条件で戻ってきたタケルの魂は本編でもグレートアイに指摘されたように常人とは大幅に異なる状態にあり、その肉体も離れた眼魂星にありながら影響を受けたのか「100の眼魂の器として最適」になってしまった、という。
今回自分の肉体が残っていたことが判明し、なおかつそれを手放す(というか爆発四散させる)覚悟をしたタケル。人の身として生きることの素晴らしさ、生きたいという願いと、それを手放してしまいうる決断力と危うさが描かれており、最終回への前振りとしても非常に有効だったと思います。
しかしあれだけやっといてもアカリとタケルは姉弟的な関係なのか……(笑)